
J.リンが引退発表 ― その瞬間と反響
2025年8月30日(米国時間)、ジェレミー・リン(37歳)が現役引退を正式に表明しました。舞台は彼自身のInstagram。数枚の写真とともに投稿された長文メッセージには、「これは人生で最も難しい決断だった」という一文が添えられています。
リンはその中で、自身を支えてくれた家族、チームメイト、コーチ、そしてファンへの感謝を繰り返し述べました。特に「自分の存在が、アジア系の子どもたちが夢を持つきっかけになったなら、それが最も誇らしいことだ」と強調。単なるバスケットボール選手としてではなく、アジア系アメリカ人のロールモデルとしての意識を最後まで示しました。
引退発表は瞬く間に世界中でニュースとして取り上げられました。ESPNやSports Illustratedなど米メディアはもちろん、日本や台湾、中国、フィリピンなど、アジア各国のニュースサイトやSNSでも大きく拡散。コメント欄には「Linsanityの熱狂を忘れない」「あなたがいたから今のNBAを応援している」という声が並び、ジェレミー・リンが果たした象徴的な役割をあらためて浮かび上がらせました。
実際、リンは2019年にトロント・ラプターズの一員としてNBA優勝を経験して以降、中国CBAや台湾リーグでプレーを続けてきました。ここ数年は度重なる怪我や体調不良と戦いながらも、地元ファンに勇気を与える存在であり続けました。今回の決断は、満身創痍の中でも最後まで戦い抜いた彼のキャリアの終止符と言えるでしょう。
“Linsanity(リンサニティ)”の衝撃を振り返る
ニューヨークでの奇跡
2012年2月、控え選手としてほとんど注目されていなかったリンは、故障者続出のニューヨーク・ニックスで突然チャンスを与えられます。すると、そこからわずか数週間で世界中を震撼させる活躍を見せました。
中でも象徴的なのが、2012年2月10日のロサンゼルス・レイカーズ戦。あのコービー・ブライアントを擁する強豪相手に、リンは38得点というキャリアハイを記録。マディソン・スクエア・ガーデンは爆発的な歓声に包まれ、「Linsanity」という言葉が一気にSNSで拡散しました。
ビジネスとカルチャーへの影響
“Linsanity”は単なるバスケットの一時的な流行ではありませんでした。ニックスの観客動員数は急増、ユニフォームやグッズは爆売れし、テレビ視聴率も跳ね上がります。当時のチームメイトであるカーメロ・アンソニーは、後に「あの熱狂は1億ドル級のビジネスに匹敵した」と語りました。
さらに、アジア系アメリカ人がアメリカのスポーツ文化の中心で脚光を浴びるという、歴史的にも特筆すべき出来事となったのです。
キャリアの歩みとハイライト
- NBA初期:ゴールデンステイト・ウォリアーズからキャリアを開始。その後、ニューヨークでブレイク。
- その後の遍歴:ヒューストン・ロケッツ、ロサンゼルス・レイカーズ、シャーロット・ホーネッツ、ブルックリン・ネッツ、アトランタ・ホークスを経て、2019年にトロント・ラプターズで優勝メンバーに。
- アジアでの後半戦:中国CBA(北京、広州など)や台湾のNew Taipei Kingsでプレー。EASLにも出場し、弟ジョセフと“Lin兄弟”として注目を集めました。
日本人選手との接点
ジェレミー・リンは、キャリアを通じて日本人選手とも少なからず接点を持っています。
- 八村塁との縁:2019年のNBAドラフトで八村がウィザーズから指名された際、リンはSNSで祝福のメッセージを発信。「アジア人がNBAで夢を実現することは、自分にとっても誇らしい」と述べました。
- 渡邊雄太への言及:ブルックリン・ネッツに所属していた時期、渡邊について「チームの中でもベスト3に入る出来だ」と評価したと報じられたこともあります。
こうした発言からも、リンがアジア出身選手の存在を心から応援していたことが分かります。
受け継がれる遺産
ジェレミー・リンは、単なる一人の選手の成功物語にとどまりませんでした。彼のキャリアは「努力と信念が、固定観念を打ち破る力になる」ことを証明したものです。
彼の成功をきっかけに、NBAを目指すアジア人プレイヤーが増え、世界のバスケットボールコミュニティに多様性の価値を浸透させました。今後は現役選手としてではなく、メンターや社会活動家としてその影響力を発揮し続けることでしょう。
結び
“Linsanity”から13年。ジェレミー・リンは、バスケットボールの世界に一瞬の奇跡をもたらしただけでなく、その後もアジア系選手の道を切り拓いた先駆者として歴史に名を残しました。彼のキャリアは終わっても、その遺産はこれからも語り継がれていきます。